三島由紀夫・三浦環・徳富蘇峰と山中湖


三島由紀夫

三浦環

徳富蘇峰

 三島由紀夫は十代の頃から、文学的才能に恵まれた日本を代表する作家です。三島の作品には山中湖がいくつか登場します。登場する作品は『恋と別離と』『蝶々』『蘭陵王』『暁の寺(豊饒の海・第3巻)』です。三島由紀夫文学館所蔵の「暁の寺」創作ノートには三島がスケッチした山中湖や旧鎌倉往還(国道138号)や周辺の地名が書き込まれています。それから『蝶々』という作品は三浦環の最後の独唱会となった昭和21(1946)年3月21日の日比谷公会堂での音楽会をもとに書かれた短篇です。夕方の音楽会に足を運んだ三島はエッセイの中で、日本が世界に誇れる明治女性の一人として、三浦環を賞賛しています。
 三浦環は「お蝶夫人」を2000回もオペラ公演した世界のプリマ・ドンナです。オペラで世界の人々を悦ばせるという使命に燃え、20年間、欧米各地で公演をし、オペラ歌手として絶大な人気を博しました。とくに「お蝶夫人」を作曲したプッチーニは「理想的なお蝶夫人」と環のマダム・バタフライを絶賛しました。
 環が母の登波と一緒に山中湖に疎開してきたのは太平洋戦争の終わりごろです。母の看病を献身的にしながら、子供が大好きだった環は近所の子供たちに歌を教えました。山中湖畔の寿徳寺には明治が生んだ偉大な歌姫が眠っています。
 徳富峰蘇が山中湖畔の別荘(双宜荘)でひと夏を過ごすようになったのは、昭和7(1932)年8月、蘇峰69歳のときのことです。蘇峰はライフワークの『近世日本国民史』を執筆するかたわら、早朝の富士を眺めることを日課にし、その神妙な景観に魅了され続けました。散策を良く好み、山中湖の自然をこよなく愛したナチュラリストでもありました。『近世日本国民史』は蘇峰が35年の歳月を費やし、90歳のときに完成させた全百巻の歴史書です。山中湖の旭日丘(地名)や報湖祭は蘇峰の命名ですが、湖神の恩に報いるという意味で、報湖祭と名付けました。<感謝報恩>を生活の信条としていたいかにも蘇峰らしい名称です。

三島由紀夫文学館
工藤正義



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